アーカイブスより

 1965年3月、大学を卒業し、その後筑紫郡春日中学校に美術講師として勤めました。

 ある日、バイクで通勤中に事故に遭い約一年間入院しました。傷がひどかったので、事故から半年後も金属パイプ・フレーム製の牽引器具を足につけベッドの上での生活でした。
 病室は古い木造で暗く、気が滅入りました。退屈しのぎに鉛筆でクロッキーをしている私を見かねたのか、看護婦さんが「ストレッチャーで外に行きましょうか?」と言ってくれました。
うれしくなって私は「その時に絵も描いてもいいですか?」と言いました。
 秋晴れの午後、半年振りに外の空気を吸いましたが太陽のまぶしさが目にしみました。
 ストレッチャーを二時間ほど外に放置してもらい、心地よい午後の日差しの中でやや逆光気味の医学部構内風景のスケッチを楽しみました。ストレッチャーの上は狭いながらも、久しぶりに絵筆を握る喜びでいっぱいでした。
 その後手術をしてギプスになると、毎日松葉杖をついて医学部構内のスケッチに出かけました。
 当時、医学部は建て替え中で、次々に美しいクラシック洋館建築の建物が消えていきました。
「壊れる前に記録を残そう」と思っていたので、入院中だけでなく退院後もたびたびスケッチに訪れました。
 アーカイブス作品の中に九大医学部のスケッチ作品が多いのはそんな理由もあるのです。

※現在は看護師さんと言うそうですが、当時のことなので看護婦さんと書いています。

 大学の美術科に入学したことで、たびたびカルトンに四つ切り画用紙を挟んでスケッチに出かけました。
ある日、授業が午前中で終わったので、中州風景を描きに行きました。
川岸に座り込み、那珂川に架かる橋と日活ホテルを描きました。
この日活ホテルは当時「石原裕次郎や吉永小百合が福岡に・・・」というニュースがあると、ここに泊まることで話題になりました。
となりにある赤っぽい建物は福岡大映という映画館で、那珂川に映るそれらの建物はまさに福岡市の中心街にふさわしい風景でした。
私は絵の具を不透明ふうに使っていたし、四つ切り画用紙に描いていたので消費量も多く、生徒用の安価なぺんてるFや、サクラマット水彩を使っていました。

やがて日活ホテルは城山ホテルになり、さらに取り壊されて左の写真にあるアクア博多に建て替わりました。
那珂川に架かる橋も新しく架け替えられ、残念ながらこの絵の中に当時のままのものは何一つ残っていません。
 この絵を見てなつかしいと思ってくださる方がいらっしゃればうれしいです。

1961年、私は福岡学芸大学・中学課程・図工科に入学しました。
 学校は福岡分校で、校舎は西公園の現在の付属中学校のところにありました。
 入学すると、「新入生歓迎・阿蘇スケッチ旅行」の発表があり、わくわく気分でした。
 ところが、貸し切りバスではなく、博多駅から各駅停車の夜行列車で出発と言うところから夢が破れてきました。 
 座席は満席でデッキに座り込んで身動きできないまま、夜が明ける頃阿蘇に着きました。
寝ぼけまなこで朝食を済ませると、「今から絵を描く、一日5枚以上、必ず厚塗りで色を付けること」という課題が出ました。
 スケッチ道具を持ち、まず外輪山への登山から始まりました。
大観峰まで登ると阿蘇五岳が目の前に広がり、すばらしいパノラマ風景に感激しました。感動に浸るまもなくスケッチに取り掛かりました。四つ切り(B-3)画用紙に厚塗りと言うのは予想以上に手ごわく、描き上げたらまた次の絵に取り掛かることの連続でした。
次第に疲れがたまってくるとスケッチが単なる作業に見えてきて仲間同士、「こんなの無理だよね」と腹も立ってきました。
 それでもようやく5枚の絵を描き上げ、達成感も感じながら夜の批評会に臨みました。
ところが批評会といっても、先生から腐され、けなされ、まるで新入生いじめ会のようでした。
上級生は、「みんな、そうして成長するとばい」と言って笑って見ているので、悔しくなりました。
 翌日は中岳に登り、火山灰が降りかかる中で噴火口風景を描きました。
 連日休むゆとりもないスケッチ浸りでしたが、仲間同士で慰めあい、励ましあい、次第に連帯感が生まれてきました。
 水彩絵の具は厚塗りで使い、ペインティングナイフも初めて使いましたし、色を薄めるのに水ではなくホワイトを使うことを知りました。
 また、風景を細かい見方ではなく省略したり固まりとして表現することなどを体験をしました。
 入学後の甘い気分が吹っ飛ぶスケッチ旅行でしたが、短期間に集中していろいろな表現方法の経験が出来たし、この厚塗り不透明画法はその後から始めた油彩画のためにはとても役に立ったと思っています。
 その後はスケッチする場合も油彩画のトレーニングの意味もあり、不透明画が増えてきました。このホームページギャラリーには限られた数の作品しか出していませんが、アーカイブスの作品からもそのことをお感じいただけると思います。