2010年02月

ドイツのペン・パルのオルトルードさんと文通を始めて間もない頃、音楽好きの彼女から、「日本の演奏家、タカヒロ・ソノダのコンサートに行きました。彼の演奏はすばらしく、私を感動させました。あなたは彼のことを知っていますか?」と書かれた手紙が来ました。
 クラシック音楽の知識もあまりなかった私には、恥ずかしいことに初めて聞いた名前でした。
 あとで、その方はカラヤンの推薦で1957年にドイツに留学し、その後ベルリンフィルとの共演でドイツでデビューをされた後、ヨーロッパ各地で演奏旅行をされていた若き日の園田高弘氏だということを知りました。
 手紙の中にそのコンサートのプログラムが同封されていて、園田高弘氏のサインもありました。
 多分、コンサートが終わって彼女はサインをもらいに行ったのでしょう。
 戦後の日本の音楽界をリードし、晩年まで演奏活動された園田高弘氏の貴重な記念品だと思っています。
 当時ドイツは東西冷戦の中で二つに分断されていて、オルトルードさんは東ドイツとの国境に近いBad Harzburgという小さな町に住んでいました。
 手紙にはしばしば冷戦下の国境に近い緊張した生活のことが書かれていましたが、このようなコンサートが彼女の心の安らぎになったのでしょう。

今、カナダのバンクーバーでは冬季オリンピックが行われています。18年前の1992年にはフランスのアルベールヴィルで冬季オリンピックが行なわれました。
 スキーのノルディック複合団体で日本チームが金メダルを取ったことは今も記憶に残っています。
 フランスの友人サンドリーヌさんからの当時の手紙にその記念切手が貼ってありました。
 やり取りする手紙にはいつも美しい記念切手や芸術の国フランスらしい美術作品の切手が貼られていました。
それらは今も私の切手ファイルにたくさん保存されています。

 私が海外文通を始めたのは高校二年生の時でしたが、最初のペン・パルはドイツの高校生のオルトルードさんでした。
 数年後の1964年、日本で初めてのオリンピックが東京で行なわれました。
 彼女は手紙にドイツで発行された東京オリンピックの切手を貼って送ってくれました。


初めて競技種目になった柔道を題材にした記念切手でしたが、顔や髪型が何となく写楽の絵のようで、当時は日本人のイメージがそのようなものだったのかと面白く、なつかしさを感じています。

ついでながら・・・・、5~6年ほど前、娘が高校生の時、ロータリー交換留学生としてドイツのブレーメンに一年間滞在しました。
 オルトルードさんに手紙で連絡したら、何と、彼女の娘さんもブレーメンに住んでいたのです。
 帰国前のある日、二人は初めて会い、楽しいひと時を過ごしたそうです。
 50年前に知り合ったペンパル同士はお互いに会う機会がありませんでしたが、その子どもたちが親の代理を果たしてくれたのでした。

須恵町久我記念美術館で行なわれている「郷土を描く展」は中日を迎えました。
 今日は日曜日で家族連れも多く、子どもたちも自分の作品の前で家族と記念撮影をする姿がたびたび見られました。
 60点あまりの児童作品は、学校風景をはじめ神社、歩道橋、志免竪坑跡など、身近な題材が多く自分たちが住んでいる町の風景に取り組んでスケッチをしている様子が伝わってきます。
 学校では通常、掲示板に画鋲で作品を展示しますが、今回は、簡単ながらもフレーム付きの展示で、美術館の雰囲気の中で鑑賞すると作品も引き立つものです。


6名の教師作品は郷土の範囲も広がり福岡だけでなく佐賀や長崎などの風景も含まれています。
 材料も水彩、油彩、アクリルなどそれぞれの材料の特長を生かした作品ですが、子どもたちが自分の作品だけでなく、いろいろな表現方法があることに興味を持ってくれたらと思います。

 今回出品した6名の教師の中の一人は私です。
作品の大半は昨年8月の個展に展示したもので、このHPギャラリーの中にもあります。
その後で描いたスケッチを1点紹介させていただきます。

 「夏空の粕屋ドーム」 粕屋町 駕与丁  F-4号水彩