2010年09月

 今年の夏は異常と思われるほど暑く、今も残暑が続いています。
 15年前の1995年の8月下旬から行なわれたユニバシアード福岡の時も残暑厳しい夏でした。
 私は片言のスペイン語でしたがユニバシアードの語学ボランティアに応募しました。
 選手村は現在の愛宕浜ウェーブコースト付近でした。
 私の担当はおもにメキシコ女子バレーボールチームで、試合のたびに赤坂の中央市民体育館や、博多の森のアクシオン福岡体育館に選手を引率して行きました。
 会場に着くと選手の登録カードを預かり試合の手続きをするのですが、彼女たちは底抜けに陽気で、時には登録カードやユニフォームを忘れたりで、一緒に選手村に取りに戻ったりもしました。
 10日間ほどの勤務でしたが、最後の日、私が「今日でお別れだよ」と言うと、みんなはびっくりして、なにやら相談をしていましたが「あなたは私たちのために一生懸命にしてくれた、私たちで出来ることがありますか?」と、キャプテンが言いました。
 そこで、「もしよかったら私の学校に来て子どもたちに会って欲しい」と言いました。
 福岡市立の学校は、応援国があり、学校から試合に行ったり選手たちとの交流の場がありましたが、私たち私立の学校は市内にありながらその機会がなかったからです。
 9月のはじめ、選手チームは監督、コーチとともに雙葉小学校に来てくれました。
 大勢の子どもたちにパスの相手をしたり、模範演技で鋭いサーブを披露、みんなの歓声が上がりました。最後にシェリート・リンドの歌を聞かせてくれ、みんなでマカレナのダンスを楽しみました。
 午後は、雙葉高校で茶道の体験の後、バレーボール部との交流試合をやりました。
 暑い夏でしたが、私にとっては心が通うさわやかな思い出です。
※(写真はみんなが寄せ書きサインをしてくれた私の帽子とIDカードです。)

 およそ25年ほど前、教育の情報交流のために、ロシア(当時はソ連でした)の小学校の先生と文通による交流をしていました。
 先生の名前はイリナ、英語に堪能な方でしたが私のブロークンな英語にも合わせてくれました。
 イリナ先生からは子どもたちの絵画や工作などの作品を送って来ましたし、私の方からは授業中の子どもたちの制作の様子の写真やビデオを送りました。
 もちろんロシアはビデオ信号が日本のNTSCと違ってMESECAMでしたから、変換コピ-をして送りました。
 送られてきた作品は文化祭などの私たちの学校行事に展示しましたし、イリナ先生もビデオは自分たちの指導のアイデアになると言って喜ばれました。
 ある時、私が「日本の小学校で、ロシア民話の大きなかぶの話を子どもたちが勉強しているのを知っていますか?」とたずね、一冊の国語の教科書を送りました。すると、ロシアではそのことは殆ど知られていなかったらしく、子どもたちをはじめ学校で大きな話題になったそうです。
 そして、すぐに学校中の感激の様子を書いた手紙と共に、一冊の絵本が送られてきました。
 絵本にはいくつかの童話があり、その中の「大きなかぶ」の最後の場面が上の写真です。
 見開きの左がロシア語、そして右のページが英語と、対訳形式になっています。
 当時は東西冷戦の頃で、西側である日本とはスムーズな外交は出来ていなかったかもしれませんが、こうした小さな交流でわずかでもお互いの国の理解につながったのかなと思っています。

 8月も終わり、いよいよ9月。
 今年は例年になく暑さが厳しかったようです。
 先日、暑さの中でスケッチに行こうということになりました。
 シニアの方が中心ですが、スケッチというと年齢に関係なくどこにでも出かける人たちの集まりです。
 目的地は久留米市草野町矢作地区です。
 数年前に行った人たちが「あそこは良かった」というひとことで二台の車に分乗して行きました。
 付近は古い木造洋館の病院を利用した施設や生垣のある農家などなつかしい風景でした。
 残念だったのは期待していた矢作地区で、数年前には建っていた家が取り壊されてなくなっていたり、建て替えられた家が新しすぎたりで、絵になりにくかったことでした。
 それでもせっかく来たのだからとスケッチポイントを探しながら描きました。
 構図のアングルを優先させると道の中央になったり、川の中になったり、しかも日陰がないといった悪条件でしたが、それらをものともせずに川に入って描いてる人もありました。
 私もわずかな木陰に身を寄せて描いていたのですが、またたく間に陰は逃げて行き、夏の陽の下で描く破目になりました。