
9月下旬に、イタリアからスイスにかけての小さな村や町を中心にスケッチ旅行に行きました。
本当ならまずスケッチの話題を書かなければいけないのですが、その前に(私らしく)横道にそれた報告をさせていただきます。
スイスの小さな村「ソーリオ」からイタリアのベルガモに向かう途中で、コモ湖畔にあるヴァレンナの近くのドライブインでトイレのための休憩を取りました。
そこはドライブインといってもマーケットのように商品がずらりと並べられている店でした。
先日ブログで「ミカド」というお菓子や、「サムライ」という名の爪楊枝のことを採り上げましたが、ここで見つけたのは、ずばり「チョコ・ニッポン」という名のチョコレートでした。
まず、カメラで記録を撮り、それを買おうかと思いました。でも、「まだ他に商品があるかも・・・」と欲を出して探しまわったのが裏目に出て、気が付くともう集合時間、とうとう買い損なってしまいました。
なにしろ現物がないため、生産国も内容成分も確かめようがないことを後悔しています。
写真を見ると、どうもミルクチョコのようですが、イラストの断面図からすると中にナッツのチップのようなものが入っているようです。
どなたかこのお菓子をご存知の方や、「チョコ・ニッポン」をお買いになられた方がいらっしゃいましたら教えてくださいね。
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今年は残暑が長引いたためか、彼岸になっても出てこなかった庭の彼岸花が例年より約一週間遅れで咲きました。
以前、早良区の田園風景をスケッチに行った時、周囲には美しい彼岸花でいっぱいでした。
さっそくいくつかの球根を持ち帰り、学校の中庭の土手に植えました。
花は年毎に増え、土手の上は赤い見事な帯になりました。当時は運動会が秋に行なわれていたので、昼食の時に「彼岸花がきれいですね」と何人もの保護者の方から言われました。
ある日「よろしかったら白彼岸花もどうぞ」と持ってきてくださった方もあり、それも加わりました。
学校は紅白の彼岸花が土手いっぱいに広がったので、いくつかの球根を我が家の庭にも植えました。
何人かの人から「縁起が悪い花だよ」とか、「これを植えると火事になるそうだよ」などといわれました。でも、花の姿が美しく、図鑑で調べるとリコリスの仲間でいろいろな園芸品種があることがわかりました。マンジュシャゲ(曼珠沙華)と素敵な呼び方もあり、歌の歌詞にも出ているし、プラス・イメージの方が高まりました。
次第に花の数も増え、アゲハ蝶が飛んでくる楽しみも増えました。
園芸店で買ったリコリスも一緒に植えているのに、咲く時期がずれているので同時に見ることは出来ませんが、それぞれを楽しんでいます。
今年も紅白の彼岸花が見事に咲き、アゲハ蝶が飛んで来たので写真に撮りました。
あまり近づくと蝶が逃げるので、離れた場所からやや望遠気味にして撮ります。
相手も生き物でこちらの注文どおりに動いてくれないので、花や蝶がバックに溶け込まない構図になる角度にカメラをセットして待ちます。とまあ、こんなシナリオですが、なかなか思い通りには行きません。
希望の場所に蝶が来たら一気に何枚も撮り、多くの写真の中から羽の開き具合が美しいものを選びます。
上の写真、気に入っていただければうれしいです。
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ユニバシアード福岡で語学ボランティアを募集していることを知り、自分の貧弱なスペイン語でのいいのかなと不安を感じながらも、判定テストに挑戦しました。結果はB級判定で組織委員会により、メキシコ女子バレーボール選手引率の仕事がやってきました。
現在の姪浜中学校の敷地が選手送迎バスの駐車場になっていて、試合会場を往復しました。
朝、私が顔を会わせると笑顔と共に口々に「オラー」、バス車内では陽気に騒いでいました。
しかし、試合となると真剣プレーで、捻挫や打撲をする選手が続出しました。帰路のバスで医療センター(現在の愛宕浜小学校)前で下車、足を引きずる選手に肩を貸して連れて行きました。
長身の選手が私にのしかかるような姿は自分でもおかしく感じました。
医療スタッフと選手の間に立って通訳するのですが、基本的な言葉はまだしも症状や医療用語になると困りました。印象的だったのは注射や薬を使おうとすると選手たちが決まって、「ドーピング?」と聞いてきたことでした。どの国の選手も「ドーピング」という言葉が通じたのは、選手たちが失格問題に神経質になっていたからでしょう。
治療が終わると選手たちが私に「バーニョはどこですか」と聞いていました。
ここは学校だから風呂があるわけはないので、「バーニョはないよ」と答えました。彼女たちはびっくりしたように「なぜ、どうして・・・」と口々に言って私と話が噛み合わないと見るや、一人の選手がトイレに座る格好をしました。
「それはセルビシオのこと?」と私が聞くと、「そうよ!」で解決しました。
バーニョには「風呂」の他に「トイレ」の意味があることを知らなかった自分、そして若い女性にあんなジェスチュアまでさせて申し訳なかったと思いました。
選手村には移動用に無料の自転車が置いてあり誰でも使えるのですが、あちらこちらに乗り捨てられていました。その殆どがサドル下のシャフトが曲がっていて乗れなくなっているものでした。
原因は体格がいい選手たちがサドルを限界以上に引き上げて乗るために、重い体重でシャフトが後ろに曲がってしまうからでした。日本仕様の自転車がそのままでは体格がいい海外のスポーツ選手には使えないことを感じさせる風景でした。
残暑の中での連日のボランティアの仕事は大変なものでした。しかし日常では体験出来ない、そしてパート1で書いたような学校での交流などにつながり、思い出に残る1995年の夏でした。
写真は試合後の体育館前でのスナップです。選手たちと私の脚の長さの違いがわかりますね。
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