高校生の時の部活は美術部でした。
 福岡地区の高校の美術部で組織されている高校美術連盟というものがあり、毎年高美展という展覧会に応募することが私たちの大きな目標でした。
 応募作品は油絵が多かったのですが、私は水彩しかやってなかったので高三の時、迫力で負けないようにと初めて大きなB-2(半切) の紙に描こうと思いました。
 テーマは通学の時にいつも志免駅から見える選炭場の下にあるホッパーを描くことに決めました。
 夏休みのある日、下絵スケッチのために引込み線の線路伝いに入って行くと、守衛さんから呼び止められ「危ないからだめだ」と言われました。それであきらめたら作品が出来ないので、私が理由を説明して必死に頼みました。その気持ちが通じたのか、「貨車が通るので線路に入らないようにな!」と小さな声で許してくれました。
 この絵は地下から掘り出した石炭を貯め、漏斗状の口から下の貨車に落して鉄道で運び出す場所を描いたものです。
 二日間通ってようやく下絵が出来上がり、それを元に家で半切画用紙に拡大した作品に取り掛かりました。下描きは線の面白さを生かすために竹ペンに墨汁をつけて描き、水彩絵の具で仕上げました。絵が大きいので額縁も高く、小遣いは全部なくなりました。
 完成した作品は幸運にも高校美術連盟賞に入賞することが出来ました。
 この頃から、日本はエネルギー革命ということで、石炭から石油に替わり、炭坑の閉山が相次ぎました。そして戦前は海軍、戦後は国鉄経営であった志免炭坑もやがて閉山したのです。
 この作品は私の高校時代最後の年の記録であると同時に、志免炭坑設備の様子を表したひとつの記録なのかもしれません。

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