1961年、私は福岡学芸大学・中学課程・図工科に入学しました。
学校は福岡分校で、校舎は西公園の現在の付属中学校のところにありました。
入学すると、「新入生歓迎・阿蘇スケッチ旅行」の発表があり、わくわく気分でした。
ところが、貸し切りバスではなく、博多駅から各駅停車の夜行列車で出発と言うところから夢が破れてきました。
座席は満席でデッキに座り込んで身動きできないまま、夜が明ける頃阿蘇に着きました。
寝ぼけまなこで朝食を済ませると、「今から絵を描く、一日5枚以上、必ず厚塗りで色を付けること」という課題が出ました。
スケッチ道具を持ち、まず外輪山への登山から始まりました。
大観峰まで登ると阿蘇五岳が目の前に広がり、すばらしいパノラマ風景に感激しました。感動に浸るまもなくスケッチに取り掛かりました。四つ切り(B-3)画用紙に厚塗りと言うのは予想以上に手ごわく、描き上げたらまた次の絵に取り掛かることの連続でした。
次第に疲れがたまってくるとスケッチが単なる作業に見えてきて仲間同士、「こんなの無理だよね」と腹も立ってきました。
それでもようやく5枚の絵を描き上げ、達成感も感じながら夜の批評会に臨みました。
ところが批評会といっても、先生から腐され、けなされ、まるで新入生いじめ会のようでした。
上級生は、「みんな、そうして成長するとばい」と言って笑って見ているので、悔しくなりました。
翌日は中岳に登り、火山灰が降りかかる中で噴火口風景を描きました。
連日休むゆとりもないスケッチ浸りでしたが、仲間同士で慰めあい、励ましあい、次第に連帯感が生まれてきました。
水彩絵の具は厚塗りで使い、ペインティングナイフも初めて使いましたし、色を薄めるのに水ではなくホワイトを使うことを知りました。
また、風景を細かい見方ではなく省略したり固まりとして表現することなどを体験をしました。
入学後の甘い気分が吹っ飛ぶスケッチ旅行でしたが、短期間に集中していろいろな表現方法の経験が出来たし、この厚塗り不透明画法はその後から始めた油彩画のためにはとても役に立ったと思っています。
その後はスケッチする場合も油彩画のトレーニングの意味もあり、不透明画が増えてきました。このホームページギャラリーには限られた数の作品しか出していませんが、アーカイブスの作品からもそのことをお感じいただけると思います。